主な参考資料
- Library of Congress
- Turner Classic Movies
- BFI
- AFI
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本作はレマルクの1929年小説をユニバーサルが映画化した1930年作で、カール・レムリは元敵国ドイツの兵士を人間として描く企画に映画化権を投じ、息子のカール・レムリ・ジュニアが製作を主導した。撮影は1929年11月に始まり、カリフォルニア州ラグナ・ビーチの牧場20エーカーを戦場に仕立て、第一次大戦経験者を多く含む2,000人超のエキストラを投入、戦闘場面は順番どおりに撮影された。初期トーキーの録音制約を避けるため、マイルストンは戦闘場面を無声カメラで撮り、銃声や叫びを後から加えた一方、台詞のない国際版も並行して用意したため、撮影は17週間に及んだと制作史は記録する。長引く撮影で撮影監督アーサー・エデソンが離れ、カール・フロイントが引き継いだほか、試写でコメディ俳優として知られたザス・ピッツの母親役に客席が笑ったため、米国内向けサウンド版ではベリル・マーサーに差し替えて撮り直された。初公開版はAFIの記録で152分だが、後年の再公開では短縮や音の追加が行われ、米国内版・海外版・台詞のない国際版の断片を組み合わせた米国議会図書館の復元版も別の編集史を持つため、「1930年版」の上映時間や音響を一種類に決めつけるのは危険である。ベルリン公開はナチ党主導の妨害と検閲委員会の上映禁止に発展し、米国務省の同時代記録は政治的圧力を詳述する一方、本作はアカデミー賞の作品賞相当「Outstanding Production」と監督賞を獲得した――反戦映画まで国境を越えると、今度は検閲側が戦場を作ったのである。
レマルクの小説は兵士の日々を挿話で積み重ねるが、映画の脚本は出来事の並びを組み替えた。たとえば訓練所で見た軍靴は、持ち主が変わるたびに戦地から病院、再び戦地へと渡っていく。兵士個人の運命を、同じ物が戻る映像でつないだ仕掛けだ。
塹壕で兵士がネズミを追い払う場面は、原作に散らばる描写を映画の一場面へ圧縮したものだ。そこで振られる短いシャベルは、のちの敵兵との接近戦にも現れる。同じ道具の使い方が変わることで、戦場の日常と殺し合いがつながってしまう。
カリフォルニアの牧場を西部戦線へ変えた。制作陣はカリフォルニアの牧場を戦場に作り替え、TCMの記録では20エーカーを超える場所で大規模な戦闘を撮影した。
戦闘場面には、第一次世界大戦を経験した退役軍人も大勢参加した。TCMはエキストラだけで2,000人超と記し、レマルク平和センターは元ドイツ軍人の顧問が、ヘルメットの変化や階級章、敬礼の所作まで確かめたと説明している。
1930年は音を同時に録るため、カメラが動きにくい時代だった。マイルストン監督は大きな移動式クレーンを使い、突撃する兵士を上から追う戦闘撮影に挑んだ。音声映画の初期作とは思えないほど、カメラそのものが戦場を移動する。
戦闘場面を順番に撮影した。TCMの制作記録によると、マイルストンたちは戦場の場面を物語の順番に沿って撮影したという。過酷な塹壕の推移を、現場でも順にたどっていたわけだ。
戦場のカメラが大きく動けたのには、音の録り方も関係する。UCLAフィルム&テレビ・アーカイブによると、マイルストン監督は戦闘を無声カメラで撮り、銃声や負傷兵の叫びは後から加えた。同時録音の制約を離れて、動きのある戦闘映像を作った。
ポールの母親役は、最初に撮った女優と台詞入り公開版で違う。ザス・ピッツの出演映像は作られたが、試写で喜劇の印象が先に立って笑いが起きたとTCMは記す。公開版ではベリル・マーサーが演じ直し、AFIも版ごとの出演記録を分けている。
『西部戦線異状なし』には、英語で会話する版とは別に、台詞を使わない海外向けの版も作られた。ただの無音映像ではなく、音楽や効果音を映像と同期させた形だ。各国の上映版や後年の修復版で尺が異なるため、同じ1930年版でも見た映像が同一とは限らない。
後年の音楽が砲声の印象まで変えた。米国議会図書館の保存部門によると、後年の外国向けや再公開時に音楽・効果音が加えられ、爆撃や砲撃の生々しさを弱めた部分もあった。映像だけでなく、音の復元もこの映画の課題だった。
【ネタバレあり】終盤、ポールが蝶へ手を伸ばすクローズアップには主演リュー・エアーズではなく、マイルストン監督自身の手が映っている。TCMによれば編集段階で必要になった追加ショットで、出演者が戻れない時期だった。この印象的な結末は、撮影後の編集でさらに形づくられた。
【ネタバレあり】ポールが塹壕で看取るフランス兵を演じたのは、無声映画で知られたレイモンド・グリフィスだ。TCMによると、彼は舞台で声を損ねており、重傷でささやくようにしか話せないこの役を監督に求めた。台詞映画へ移る時代に、彼にとって最後の出演作となった。
反戦映画はドイツで公開されると、上映中の騒ぎまで政治問題になった。ナチ党の支持者らが劇場内外で妨害し、1930年12月11日に上映禁止となった。その後は短縮・変更された版が再び認められており、禁止が一度も解かれなかったわけではない。
【ネタバレあり】ドイツでは1930年末の上映禁止後、短くした版が再び認められた。ただし再上映には条件があり、元教官ヒンメルストースが前線で怯える場面、墓地でポールが取り乱す場面、殺したフランス兵への罪悪感を語る場面がさらに除かれたとレマルク平和センターは記す。失われたのは単なる上映時間ではない。
国ごとの検閲と再公開の短縮で、映画の場面は長く散り散りになっていた。米国議会図書館での復元では、フィルムの端に残るコード番号を手がかりに元は隣り合った素材を探し、映像の傷やずれた音も直した。場面の順番を取り戻すことが、物語のつながりを取り戻す作業だった。
ポールを演じたリュー・エアーズは、その後の第二次世界大戦で武器を持つ兵役を拒み、衛生兵として従軍した。後年の本人談では『西部戦線異状なし』で、敵兵にも自分たちと同じ生命があると初めて学んだという。ただし思想の形成を映画一本だけの結果とは言えず、本人の信仰などほかの背景もあった。
「ドイツでは1960年まで上映禁止だった」という説明を見かける。しかし、レマルク平和センターとドイツの歴史博物館は、1930年の禁止後に短縮版が再び上映を認められたと記録している。元の形の上映が認められた、という意味ではないが、「30年間一度も上映されなかった」とは言えない。
西部戦線異状なしを配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。