『黄色いリボン』の嵐は本物――撮影監督の抗議を押し切ってカメラを回した
『黄色いリボン』(1949)で、モニュメント・バレーを進む騎兵隊の背後を覆う嵐。あの雲は撮影所で作ったものではなく、ロケ中に現れた本物でした。TCMによると、騎兵隊の列を撮っている最中に天候が変わり、ジョン・フォード監督はカメラを回し続けるよう求めたそうです。[1][2]
しかし、テクニカラーの先駆者だった撮影監督ウィントン・ホックは、光量が急速に落ちる条件ではカラー撮影の品質を保証できないと反対しました。命令で撮影を続けた後、米国撮影監督協会へ正式な抗議を提出しています。AFIにもこの経緯が記録されていますが、現場の会話や抗議文の全文は掲載されていません。完成映像を外すよう求めた、あるいは失敗作だと言い続けた、という記録でもありません。[1][2]
・画面の手本は、レミントンの西部画だった
本作はフォードの騎兵隊三部作で唯一、カラーで撮影された作品です。フォードはホックとともに、西部画家フレデリック・レミントンの絵画様式を再現しようとしたと回想しています。TCMによると、美術監督ジム・バセヴィも加わり、三人で絵を検討しました。[1][2]
下の《A Reconnaissance》では、広い雪面と青緑色の空の中に、騎兵が小さく描かれています。[4]
・抗議したホックは、翌年に撮影賞を受けた
第22回アカデミー賞で、本作は撮影賞(カラー)を受賞し、ホックがオスカーを獲得しました。ノミネートはこの一部門だけで、TCMは彼がキャストとスタッフの中で唯一の受賞者だったと紹介しています。[2][3]
現場での対立はありましたが、二人はその後も一緒に仕事をし『静かなる男』(1952)や『捜索者』(1956)でも組んでいます。[1]
・脚注
- abcdAFI Catalog「She Wore a Yellow Ribbon」。本作が騎兵隊三部作で唯一のカラー作品であること、フォードとホックがレミントンの画風を参照したこと、砂漠の嵐の撮影をめぐりホックが米国撮影監督協会へ正式抗議したこと、その後も両者が共同制作を続けたことを確認した。(リンク)
- abcdTurner Classic Movies「She Wore A Yellow Ribbon」(Rob Nixon、2003年2月27日)。フォード、ホック、美術監督ジム・バセヴィによるレミントン研究、嵐が起きた状況、光量不足をめぐる対立、撮影続行と正式抗議を確認した。(リンク)
- Academy of Motion Picture Arts and Sciences「The 22nd Academy Awards | 1950」。1950年3月23日の第22回で、ウィントン・ホックが本作により撮影賞(カラー)を受賞したことを確認した。(リンク)
- The Metropolitan Museum of Art「A Reconnaissance」。フレデリック・レミントン作、1902年、油彩、所蔵番号2019.438。作品解説、寸法、パブリックドメイン表示を確認した。(リンク)