主な参考資料
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市川崑にとって本作は、『病院坂の首縊りの家』(1979)以来17年ぶりに手掛ける横溝正史映画であり、フジテレビ・角川書店・東宝の提携、東宝映画製作、東宝配給で1996年10月に公開された。
金田一役には石坂浩二ではなく豊川悦司を新たに迎え、市川は後年、演技の輪郭だけを示して豊川に任せたと回想している。市川の公式フィルモグラフィーによれば、豊川の颯爽と走る姿を見て「よく走る金田一」になったという。
市川は脚本作りについて、犯人当てを冷たいパズルにせず情感に訴えるため、終盤前に犯人を明かす構成を選び、2時間強に収めるのにも苦労したと述べている。
岡山県のフィルムコミッション記録には、伊勢神社周辺、広兼邸、満奇洞、八塔寺ふるさと村が本作のロケ地として残る。
豊川は本作で、第20回日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞した。
市川崑は1970年代に金田一耕助映画を続けて撮ったが、『病院坂の首縊りの家』の後は長く離れていた。1996年版『八つ墓村』は、市川が17年ぶりにこのシリーズへ戻った作品だ。
市川崑の回想を伝える資料では、1996年版は東宝の高井英幸プロデューサーの企画から始まったという。市川作品サイトのクレジットにも、高井は企画担当の一人として載っている。
豊川悦司には演技の大枠だけを伝えた。監督の回想を伝える資料によると、大枠を決めた後は豊川に任せたため、本人が一時期不安に思うほどだったという。
この金田一は、事件の現場をよく走る。市川崑作品サイトによると、豊川悦司の走る動作がフィルムの中で映えたため、それを生かして「よく走る金田一」になったという。
【ネタバレあり】市川崑の回想を伝える資料では、犯人当てを最後まで引っ張る冷たいパズルにしたくなかったという。そのため、大詰めより前に犯人を示し、その後の人物の感情を見せる構成を選んだ。
同じ原作でも二つの映画版は時代が違う。野村芳太郎の1977年版は事件を当時の現代へ移したが、市川崑の1996年版は物語を昭和24年から始め、戦後の村を舞台に戻した。
1977年版の脚本は、原作で大切な里村兄妹を削っていた。1996年版には里村典子が戻り、喜多嶋舞が演じている。同じ原作でも、人間関係の残し方が大きく異なる。
多治見家の外観には、1977年版でも使われた岡山県高梁市の広兼邸を再び選んだ。一方、村の景色は備前市の八塔寺ふるさと村、洞窟は新見市の満奇洞などでも撮っている。画面の八つ墓村は、岡山の複数地点を組み合わせたものだ。
岸田今日子が双子を一人二役で演じた。1996年版では岸田今日子が一人で二役を演じた。1977年版では別の俳優二人が演じており、同じ双子でも配役方法が変わった。
小竹・小梅の衣装に見える赤い襟は、岸田今日子自身の提案だった。岸田は、双子の老婆にも若い時代があり、華やかな服への憧れを抱いたかもしれないと想像して肌襦袢を選び、市川監督の了承を得たと当時の取材で語っている。
劇伴を手がけたのは谷川賢作だが、エンディングで流れる歌は別の組み合わせだ。主題歌「青空に問いかけて」は谷川俊太郎が詞を書き、小室等が作曲と歌唱を担った。親子それぞれの名前が一作の音楽に並ぶ。
八つ墓村を配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。