🔍 ポップコーン探偵
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探偵アイコン 探偵による映画背景メモ

1955年公開。アルフレッド・ヒッチコックは、死体を囲む田園ブラックコメディという、パラマウントが売り方に困る題材をあえて選び、シャーリー・マクレーンの映画デビュー作として撮った。紅葉を狙った1954年秋のヴァーモント・ロケは雨に崩され、狭い体育館へ避難して撮影したうえ、屋根を打つ雨音のため多くの台詞を録り直すことになった。結局ロケを切り上げ、葉を持ち帰ってハリウッドのセットで秋景色を再現したが、初公開時の興行は振るわなかった。自然の気まぐれを楽しむ映画の現場では、自然が最も容赦のない演出家だったのである。

― ポップコーン探偵
この映画の トリビア!!!
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撮影・美術
信頼度

秋の落ち葉をハリウッドへ持ち帰った

『ハリーの災難』の秋景色には、撮影隊が現地から持ち帰った葉が使われています。雨の続くヴァーモントで紅葉が落ちてしまい、制作陣は大量の落ち葉をハリウッドへ運び、スタジオの人工の木へ取り付けたのです。[1]

自然の秋を撮りに行った映画が、最後には秋を持ち帰って組み直すことになりました。現場の困り方は、ヒッチコックの妻で映画作りの協力者でもあった、アルマ・レヴィルの手紙にも残っています。[1]

・暗い事件を、明るい紅葉の中へ置く

この映画で人々を困らせるのは、何度も埋められ、掘り返される死体です。陰惨な場所へ置けば恐怖になりそうな出来事を、ヒッチコックは秋の美しい小村へ置きました。[2]

AFIの資料によると、原作の舞台からヴァーモントへ変更したのは、ニューイングランドの鮮やかな紅葉と、死体をめぐるブラックコメディを対比させるためでした。風景は単なるロケの背景ではなく、話の可笑しさを支える材料だったのですね。[2]

・現場からの手紙には、雨の話が続く

1954年10月、ヒッチコックとアルマは撮影隊とともにヴァーモントへ入りました。短い紅葉の時期を逃したくなかったため、前作の撮影からあまり間を置かず、次の仕事を始めています。[1]

ところが、アルマが10月7日付でシドニー・バーンスタインへ送った手紙には、雨ばかりだという嘆きが書かれていました。美しいショットをいくらか撮る一方、室内の場面は小さな訓練用ホールで進めていた、とも伝えています。[1]

手紙は、後から語られた豪快な撮影伝説とは少し違います。まだ撮影の途中にいる人が、天気と進み具合を友人へ知らせている。そこからは、予定した季節を思いどおりに撮れない、日々の作業が見えてきます。

・木から落ちた葉を、別の木へ戻す

BFIの紹介によると、撮影隊はやがてハリウッドへ戻り、現地で集めた大量の葉をスタジオの人工樹へ丹念に取り付けました。AFIも、悪天候のため1954年10月中旬に撮影所へ戻り、残りを撮ったと記録しています。[1][2]

『ハリーの災難』の秋の風景
作品を彩る秋景色。掲載:BFI。完成画面の参照用で、この場所が人工樹のセットだと特定するものではありません。作品:Paramount Pictures。

天気が回復しても、落ちた葉まで木へ戻るわけではありません。必要なのは、撮影を再開する日ではなく、先に撮った画面とつながる秋です。場所を変えても、同じ季節の村に見えるようにしなければなりません。

完成した風景を見ている間、そこが現地の木か、スタジオで葉を付けた木かを考えることは、あまりないかもしれません。けれども、一つの秋を保つために、落ち葉まで運んだと知ると、明るい森の見え方も変わります。

・脚注

  1. abcdeBFI「The trouble with Vermont」、Nathalie Morris、2012年8月15日。1954年10月7日付Alma Reville書簡の紹介と、葉を持ち帰った経緯。
  2. abcAFI Catalog「The Trouble with Harry」、「History」。舞台の変更、悪天候による撮影所への移動。
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制作秘話
信頼度

パラマウントが映画化を見送った小説を、ヒッチコックは自分の名を伏せて買ったという。AFIが後年の資料に基づいて紹介する契約額は1万1,000ドル。原作者と代理人は、誰が買ったかを後から知り、その金額を悔やんだとされる。

脚色・ロケーション
信頼度

原作の舞台は英国だったが、映画ではヴァーモントの小村へ変更された。ヒッチコックが狙ったのは、殺人の恐怖に似合う暗い土地ではなく、ニューイングランドの鮮やかな紅葉である。住人たちが死体を埋めては掘り返す出来事を、観光絵葉書のような秋景色の中へ置くことで、陰惨さより乾いた可笑しさを前へ出した。

制作秘話
信頼度

雨続きのロケで、一部の屋内場面は現地の小さなホールへ移された。しかし建物へ入れば解決、とはいかなかった。制作解説によると、屋根を打つ雨の音が録音に入り、後の作業で台詞を録り直す必要が生じたという。

撮影事故
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雨天のため屋内へ移った撮影では、吊り上げていた重量級のビスタビジョン用カメラが落下し、ヒッチコックの肩近くをかすめたと報じられている。資料によって機材重量の数字には差があるが、当時の大型カメラが監督を直撃しかねなかった点は共通する。死体を何度も運ぶブラックコメディの現場で、最も深刻な危険は頭上の撮影機材だった。

制作秘話
信頼度

シャーリー・マクレーンの映画デビューにつながったのは、舞台『パジャマ・ゲーム』(1954)への予定外の代役出演だった。本人の回想では、客席に製作者ハル・ウォリスと、ヒッチコック側の制作担当ドク・エリクソンがいた。本作の映画デビューは、予定外の出演がつないだものだった。

現場エピソード
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ヴァーモント撮影中、シャーリー・マクレーンはヒッチコックから毎食を一緒に取るよう求められたという。新人だった彼女は美食家の監督に付き合い続け、その結果、スタジオから体重の増加を注意されたと回想している。監督と主演者が距離を縮めた食卓は、同時に衣装と容姿を厳しく管理する1950年代の撮影所制度にもつながっていた。

制作秘話
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本作は、ヒッチコックとバーナード・ハーマンの最初の共同映画だった。ハーマンの伝記作者スティーヴン・C・スミスは、前作の作曲家リン・マレーから聞いた話として、マレーの推薦があったと紹介している。『めまい』(1958)、『北北西に進路を取れ』(1959)、『サイコ』(1960)へ続く組み合わせにも、複数の起用経緯が語られている。

タイトル・美術
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オープニングでは横長の田園画をカメラが移動し、最後に草地へ横たわる死体へたどり着く。この絵を描いたのは『ニューヨーカー』で知られるソール・スタインバーグで、ヒッチコックもタイトル設計に関わった。現実の遺体を見せる前に同じ構図をイラストとして提示し、死を恐怖の対象より奇妙な物語の小道具として受け入れさせている。

制作秘話
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サムの絵を実際に制作したのは、抽象画家ジョン・フェレンである。フェレンはロケにも加わり、サム役のジョン・フォーサイスに絵筆の扱いなど、画家らしく描くための動作を教えたという。美術の仕事は、画面に飾る完成品だけにとどまらなかった。

検閲・脚本
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死体を何度も埋めたり掘り返したりする物語だが、当時の製作倫理規定を審査する側が強く問題視したのは、息子アーニーの出生だった。原作と初期脚本では父親がジェニファーと結婚する前に亡くれており、婚外子になる。制作側は婚姻内の子だと明確になる形へ家族関係を書き換え、ようやく脚本の承認を得た。

タイトル・宣伝
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1954年12月のスタジオ用資料には、冒頭へ「アルフレッド・ヒッチコックによる、ある死体についての喜劇」という説明句を加える案が残っている。つまり観客へ、これは殺人スリラーではなく死体についての喜劇だと題名の前に知らせる設計だった。完成版では説明句が外れ、スタインバーグの絵と死体の構図だけで作品の調子を伝える形になった。

キャスト
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ハリー・ウォープを演じたのは俳優フィリップ・トゥルークスである。しかし画面上のハリーは死体としてしか現れず、自分から台詞を発することも動くこともない。住人たちが持ち上げ、引きずり、埋め、また掘り返すたびに、同じ身体の重さが笑いの間を作る。題名の人物でありながら、受け身の状態を保つことが出演の中心だった。

制作秘話
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劇中で聞こえる「フラッギン・ザ・トレイン・トゥ・タスカルーサ」の旋律は、テレビ番組の煙草のCM曲として作られたものだった。もともとは別の歌詞を付ける予定だったという。田舎の物語の中へ、同時代の商業音楽が入り込んでいる。

カメオ・画面内小ネタ
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ヒッチコック本人のカメオは、サムの絵を眺める富豪がリムジンを止めた場面に置かれている。監督は車の横を歩いて通り過ぎるだけで、死体を囲む住人たちの輪には入らない。カメラの正面で合図する登場ではなく、絵を売る場面の背景へ自然に紛れるため、人物より車と販売台を見ていると見逃しやすい。

制作秘話
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『ハリーの災難』(1955)は、『ロープ』(1948)、『裏窓』(1954)、『知りすぎていた男』(1956)、『めまい』(1958)とともに、権利がヒッチコックへ戻った作品だった。1970年代には流通が乏しくなり、ユニバーサルが1983年に権利を取得、1984年に新しいプリントで再公開した。フィルムの紛失ではなく、契約で見られない時期があったのである。

監督発言・受容
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本作はアメリカで興行的に成功しなかったが、英国とフランスではより好意的に受け止められた。ヒッチコックは1971年の取材で自作中の好みとして挙げ、後には『ヒッチコック劇場』の導入モノローグを書く脚本家へ、本作を見るよう求めたという。死体を前にしても大騒ぎしない人物たちの乾いたユーモアの基準が、テレビで演じる監督自身の語り口にも使われた。

キャスト小ネタ
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路傍の絵を買いに来る富豪には、リムジンを運転する男が付き添っている。この運転手を演じたアーネスト・カート・バックは、アルバート船長役エドマンド・グウェンの実生活の従者だった。撮影の外でグウェンの身の回りを支えていた人物が、画面の中では別の金持ちへ仕える小さな役を与えられている。

制作秘話
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映画の撮影が初めてだったシャーリー・マクレーンは、それが普通の準備だと思い、全員分の台詞を覚えて初日に来た。本人によると、録音担当者まで大量の台本を並べ、台詞に合わせて紙をめくって騒音を立てたという。舞台で身につけた周到さが、短く区切って撮る映画では思わぬ混乱を招いた。

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サム役にはケイリー・グラントの起用も考えられた。だが脚本家ヘイズは、監督が原作の持ち味を失いたがらなかったと回想する。大スターのために役を膨らませず、村人たちの群像劇を守ったのである。

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ヘイズは『泥棒成金』(1955)のカンヌ・ロケ中、本作の脚本にも着手した。前作も撮影中の書き直しが続き、二本を同時進行。ヒッチコック作品の脚本は、一本ずつ順に書かれていたわけではない。

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本作の第二撮影班がビスタビジョンで撮ったニューイングランドの風景は、『青春物語』(1957)にも一部使われた。両作の脚本家ヘイズを取材したデローザは、タイトル直後に共通のショットがあると記している。秋景色は別の映画へ再登場した。

制作秘話
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少年アーニー役のジェリー・メイザースがヒッチコックと出会ったのは、テレビの舞台裏だった。テレビジョン・アカデミーの本人インタビュー紹介は、テレビ番組への出演中の出会いが、本作への起用につながったと記している。映画のオーディション室だけで決まった配役ではなかった。

制作秘話
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厳しい監督という評判を後から知ったジェリー・メイザースは、本作のヒッチコックを優しい大人として覚えていた。本人の回想では、監督の膝の上に座って台詞をさらうこともあったという。少なくとも少年にとっては、近寄りがたい巨匠というだけの相手ではなかった。

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ヴァーモントのロケでは、地元の人たちが撮影隊の昼食を作り、女性たちがブルーベリー・マフィンを大量に用意した。ジェリー・メイザースによると、ヒッチコックは並んだ品を見てマフィンを選ぶのも上手で、監督が取るものはいつもおいしかったという。少年のロケの記憶には、台詞だけでなく昼食の味も残っていた。

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製作担当ハーバート・コールマンの回想では、マクレーンとの最初の面談は、服を乾かすところから始まった。手配した車が来ず、バスを降りて歩いた新人は雨でずぶ濡れ。アルマ・レヴィルが着替えを用意し、マクレーンはローブ姿で面談することになったという。

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マクレーンは、最初の台詞の後は「犬の足」と監督に言われて戸惑ったという。「犬の足」のpawsと「間を置く」のpauseは、どちらも「ポーズ」と発音する。犬の足で間を指示する言葉遊びだったのである。

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ハーマンが本作に用いた音楽の一部は、ラジオ番組『Crime Classics』の1953年放送分へ書いたものだった。IRCAMの解説は、4回分の放送に使った短い楽曲からの転用と記す。映画の音楽には、ラジオ劇から再利用された断片も溶け込んでいた。

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ハーマンは1968年、本作の旋律を使って『The Trouble with Harry: A Portrait of Hitch』(1968)を作った。約8分の演奏会用作品で、出版社に載る作曲者の説明では、楽しく、優しく、不気味でもある監督の音楽的な肖像だという。映画の伴奏が、ヒッチコック自身を描く音楽へ姿を変えた。

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【ネタバレあり】原作のハリーは、ジェニファーのかつての恋人だった兄ロバートが死んだ後、死んだ兄の代わりと思って自分と寝るように申し出る。映画では、この倒錯した夫婦の挿話は省かれた。完成版で語られる夫婦関係には、原作にあった事情のすべてが残っているわけではない。

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初期脚本には、二組の夫婦の浮気話が残り、手紙を届ける場面から物語が始まっていた。改稿で四人の挿話を削るとともに、冒頭も少年アーニーと玩具の銃へ戻された。村の騒動には、消えた人間関係がある。

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ハリーを撃ったと思う船長に、木々に絞首縄が下がって見える。そんな不安の表現が初稿にはあったという。控えめな調子を望むヒッチコックは、この挿入場面を改稿で外した。恐怖を大げさに絵にしない選択だった。

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サムが描く絵を用意したジョン・フェレンだけでなく、その妻も画面の美術に関わったとされる。英語版の作品解説によると、ハリーの死体のスケッチをロケ先で描いたのは、美術家のレイ・フェレン。架空の画家の作品は、一人の実在画家だけで出来上がったものではなかった。

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サムの絵を用意したジョン・フェレンは、後に『めまい』(1958)でもヒッチコックと組んだ。手がけたのは、スコティの夢の場面のデザインと、物語の鍵を握るカルロッタの肖像。のどかな村の絵から悪夢へと、画家の協力関係が別の形へ広がっている。

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船長役エドマンド・グウェンについて、本作を「最後の米国映画」と紹介する記録がある。ただし、最後の出演作ではない。本作の後に撮影された『It’s a Dog’s Life』(1955)もあり、最終出演作はイタリア・スペイン合作『Calabuch』(1956)。撮影順、一般公開の順、俳優人生の終わりは別々である。

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ヴァーモントで行われたプレミア上映は、映画のお披露目であると同時に洪水救援の上映でもあった。現地の歴史協会は、ニューイングランドの被災者救援へ収益を充てる招待状や入場券を保存している。ヒッチコックとマクレーンも、この催しに姿を見せた。

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2022年のUniversal版4K UHD/Blu-rayには、「劇場予告編」と表示された特典がある。ところがディスク評は、中身が約2分25秒のVHS版の宣伝だと指摘。1955年の劇場公開時の売り方を、そのまま示す資料ではなかった。

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本作の軽快な序曲には、ストラヴィンスキーの交響曲への目配せもある。音楽研究者アラン・ポワリエは、ハーマンが少し不安定な響きを作り、さりげなくユーモラスに使っていると分析する。田舎の陽気な伴奏と思って聴いていると、近代音楽につながる仕掛けを聞き逃す。

制作秘話
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マクレーンの映画デビューは、新婚生活の始まりとも重なっていた。脚本家ヘイズは、ヒッチコックが新婚の撮影入りを知り、ハネムーン気分で仕事に集中できないのではないかと心配した、と回想している。仕事も私生活も、大きな変化の中で始まった撮影だった。

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『裏窓』(1954)で作曲家を演じたロス・バグダサリアンは、本作にちなんだ同名の曲をレコードにした。使った名義はアルフィとハリー。これは映画にちなんだ別の歌で、ハーマンの劇伴をポップソングにしたものではない。

情報不足・要確認
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『ハリーの災難』(1955)の原作者が、ヒッチコックの『Champagne』(1928)にも出演していた、という話は別人の取り違えである。原作者はジャック・トレヴァー・ストーリー。出演した俳優はジャック・トレヴァーで、似た名前の別人だった。公式メイキングで語られた話にも、この混同が入り込んでいた。

情報不足・要確認
信頼度

本作には監督の登場場面がない、という説明は誤りである。ヒッチコックのカメオはある。絵を売る場所に止まったリムジンのそばを、通行人として横切る。死体を囲む主要人物を探すだけでは見逃しやすい登場だ。

裏取り強め
有力ソースあり
未確認・噂寄り
情報不足・要確認

主な参考資料

配信で見る

ハリーの災難はどこで配信?

ハリーの災難を配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。

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